夏休みの宿題

小学4年生の息子の夏休みの宿題を一つ一つつぶしていきました。(~_~;)とほほ。
そのうちの一つ、大好きな作文。息子が食べ物について書きたいと自分からテーマを選んだので、今後のこの国の食糧問題について二人で考察してみました。放射能で汚染されていくわけですから、どんどん食料が少なくなってくるだろうと。みんなで奪い合うことが想像できます。そうした時に、どうやって生きていくのか・・・。
最後に題名を決めるのに悩みました。しかし、ここはふさぎ込んでいる場合ではない、暗闇に光を目指して生きていかなければならない。ということで「希望」という題名を選びました。


「希望」

今までのぼくたちはこんなに裕福だったのです。毎日すわっていれば三食ごはんが出てきます。毎回お腹いっぱい食べています。そして食べ残したごはんは捨てています。さらに足りない足りないと言ってアイスを食べ、ジュースを飲み、おかしを食べる生活をしています。

しかしこんな恵まれた国で自殺する人が毎年三万人以上いると言われています。その一方で、地球の裏側には食べられない子供たちがいます。ゴミの山で生活していたり、マンホールの中で暮らしていたり、ごはんをろくに食べられないのです。それなのに彼らは生きよう生きようとしています。裕福なのに自殺する人たちがいて、貧しくても生きようとする子供たちがいます。それらはみんな同じ人間です。ぼくの頭で考えると、それらは逆でなぜそんなことが起きるのかまったく理解できません。

さらにもっと裕福な暮らしを手に入れるために原発が必要だと大人は言います。しかし、その原発での事故が目の前で起きました。そのためぼくたちの家族はばらばらになり、放射能から逃げる生活をに変わりました。これからさらに食べ物や飲み物やあらゆる物が放射能に汚れて、今までのようなお腹いっぱい食べられる生活はできなくなり、地球の裏側の子供たちのような貧しい生活になってしまうだろうと思います。少ない食べ物をうばい合ったり、病気になったり、みじめな生活がぼくたちを待っているのです。こんな世の中でどうやって生きていけばいいのか、どうすれば幸せになれるのか、暗い気持ちになってしまいます。

ある日、「幸せとはなにか」について父と兄と三人で話し合いました。そこでの結論は、人からありがとうと言われること、感謝する気もちを忘れないことでした。

この結論は、ぼくにとって生きていくための希望です。これからどんな世の中に変わろうとしても、ぼくは自分のことよりも相手のことを思いやれる人間を目指すという希望を持ち強く生きていきたいと思います。

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初めての「人権作文」

Sakubun_2『人権作文』・・・恥ずかしながら初めて聞く言葉でした。うちの小四の息子を福島から埼玉の小学校へ転校させて、いきなり宿題が出されました。「お父さん、人権作文ってどう書けばいいの?」と聞いてくる息子。慌てて、いろいろと調べてみて「お前の体験自体が、人権作文だよ」と伝え、二晩かけて、下書きに下書きを重ね、泣きながら手を真っ黒にしながら書き上げました。転校先の先生の配慮でしょうか、学年の代表に選ばれたそうです。息子もちょっと誇らしげに電話で報告してきました。

こんな小さな子供たちまでもが、死と隣り合わせの人生を送っていかなければならない。可愛そうですが、それが現実となってしまった以上、なんとかそれを受け入れ、前進していかなくてはならないでしょう。そのために今のうちに精神をきたえておかなければ・・・。

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「命よりも大切なもの」

週末に父が来て、とつぜんビデオを見せられました。それはチェルノブイリ原発事故でガンになった子供たちを助ける日本人の医者のお話でした。

チェルノブイリのとなり町のベラルーシで放射能に被ばくしたほとんどの子供たちが甲状腺ガンになりました。その時のソ連の医者のレベルは低くて、のどに大きなキズあとを残しました。それを見た日本人の医者が、キズの残らない手じゅつを教えるためにベラルーシに飛びました。その人の名は、菅谷昭といって、今の松本市の市長です。

今、目の前でチェルノブイリと同じことがおきています。ぼくは父の決断で生まれ育った福島をはなれ、原市小に転校してきました。しかし、ぼくの友達は今でも被ばくしながら外で運動会の練習を続けています。残して来た友達の顔を一人ひとり思いうかべると、ひなんしてきたことにうしろめたさを感じます。でもぼくも甲状腺ガンにはなりたくありません。とてもふくざつな気持ちです。

ぼくたちの命は誰が守ってくれるのでしょうか。この国の大人は本当にぼくたちを守ってくれるのでしょうか。それとも、ぼくたちの命よりも大切なものがあるのでしょうか。もし、それがないとしたら、一日も早く福島のぼくの友達を助けてください。

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作文

子供たちが埼玉へ転校して2ヶ月が経ちました。
転校先ではイジメられないかと心配ですが、生きるか死ぬかの問題です、そんな事も言っていられません。
中一の息子は、FUKUSHIMAからの転校ということで、3.11の体験談を宿題に出されました。
何回も何回も下書きをさせて、できあがったのがこの文章です。
今までの満たされた生活を考え直さないと、原発問題は解決しないことなのだと、つくづく考えさせられます。


「3.11を振り返って」

平成23年3月11日、それは僕にとって忘れることのできない日となりました。小学校最後の学年として迎えた学期末、僕たちは普段通り学校に通い、いつも通りの授業を受けていました。ところが午後2時46分に異変が起こりました。大きな揺れを感じて、担任の先生が「みんな机の下に入って」とおっしゃって、僕たちは慌てて机の下に身を隠しました。それから、今まで経験したことのない大きな長い揺れが僕たちを襲いました。非難訓練で何回も机の下に入ったり、校庭に飛び出したりしたことがありましたが、こんなに大きな地震が本当に来るとは夢にも思わず、僕はただ足がすくんで、身動きなどできない状態でした。周りのみんなもぶるぶる震えていて、教室中の本や花瓶やあらゆるものが落ちてきて、めちゃくちゃになりました。

揺れがおさまると、児童全員が校庭へ集合し、一斉下校となりました。下校途中、いつもの道路は大きく亀裂が入り、マンホールが飛び出していて、車が通ることができないくらいでした。なんとか弟と家にたどり着くと、母と幼い弟が外でぼうぜんと立ち尽くしていました。お互いの無事を確認し、家の中へ入ってみると、そこは映画のワンシーンを見ているように、全てが倒れて、足の踏み場もないくらいにめちゃくちゃな状態でした。もちろん、水道も電気もガスも使えない状態でした。

その後、父の実家へ移り、祖父祖母と一緒に生活することとなりました。電気やガスは復旧しましたが、水だけが出ない状態が何日も続きました。水が出ないという経験は初めてだったので、とても大変でした。お風呂に入れないのはもちろん、ご飯を炊くにも苦労しました。なんと言ってもトイレが一番困りました。それまで普通にトイレを流していましたが、一回に流す水の量はとても多いのです。ポリタンクに水をもらってきて生活していましたが、水は無駄に使うことはできませんでした。水の次に困ったのはガソリンだったと父が言っていました。震災直後はガソリンが入って来なくて、車での移動ができない状態でした。水と燃料が絶たれると、現代人は何もできなくなってしまうのだと改めて思い知らされました。

3月11日までの自分の生活を振り返ってみると、それは天国のような生活でした。何不自由なく暮らしていました。朝起きると朝食が用意され、三度の食事は当たり前、もちろん電気もガスも水も自由に使えるのに、不平不満ばかりが口から出ていました。あの日以降、テレビをつけると、津波で全てを失った人たちの絶望に満ちた表情が、毎日のように映し出されていました。全てを失ったあの人たちから比べると、僕たちの不自由な生活はまだまだ幸せな悩みだったと、今改めて考えさせられました。

あの日まで「生きる」ということについて深く考えたことはありませんでした。しかし、あの日を境に「生きる」ということがこんなにも大変なものなのか、こんなにもエネルギーを使うことなのかと、中1の歳で考えさせられることになりました。今までいかに「生きる」ということに関して無関心だったか、「生きる」ことが当たり前の平和な生活をしていたか、少し恥ずかしい気持ちになりました。放射能の問題もまだ解決はしていません。しかし、僕たちはなんとかして生きなければなりません。生きてこそ、人生に意味があるのです。「生きる」ことへ関心を持つ僕たちの世代が、きっと世の中を変えることができると強く信じます。

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『チャイナ・シンドローム』

China_2毎日毎日テレビで繰り返される「安全です」「直ちに健康に影響はない」の言葉に、気が狂いノイローゼになりそうなので、被災されている方々には大変申し訳ないが、気分を一新するため久しぶりに映画鑑賞をすることにした。

手にしたDVDは『チャイナ・シンドローム』。(1979年)

「チャイナ・シンドローム」とは、もしアメリカの原発がメルトダウンを起こしたら、地球の裏側の中国まで溶けていってしまうだろう、といった意味合いの映画の中でのジョーク。実際は、運転中の原発の冷却水が漏洩して空だき状態になり、炉心が溶融(メルトダウン)し超高温になって、炉内の水やコンクリートと反応して水蒸気爆発を起こし、圧力容器と格納容器を破壊して大量の「死の灰」を周囲にまき散らす事故のことを指します。

この映画が公開された、そのわずか12日後の1979年3月28日に、スリーマイル島の原発事故が起きました。

原発の取材中に事故に遭遇した女性リポーター。ずさんな管理体制に気づき、告発しようとする原発管理者。人の命の重さなどどうでもよく、隠蔽を重ねる利益優先の経営者。真実を伝えようとするリポーターとフリーのカメラマンの、真のジャーナリズム。安全な原子炉運転を願い命を懸けて守り抜く技師のエンジニア魂。

まさに今、目の前の東京電力福島第一原子力発電所で起こっている事故と、それを取り巻く人間の欲望とぴたりと重なります。

女性リポーターの「あれは事故だったのか?国民は常に危険にさらされているのか?」という質問に、「原発は事故を想定して作られる。起こりうる事故はすべて考慮されている。品質管理は航空宇宙局並に厳しい。いかなる部品も再三のテスト済みだ。溶接部はX線検査を受け、細部の部品も二重三重に検査されている」と原発管理者。「質問の答えになっていない」とリポーター。
このやりとりも、毎日見せられているもの。

何もかもが今の事故と重なり、鳥肌になりながら固唾をのんで見ていましたが、映画では最悪の事態「チャイナ・シンドローム」は寸前で防ぎます。そして、現場の同僚が勇気を出してカメラの前で真実を語るのです。


Yellow真実を伝えることは、とても勇気が要ることだと思います。生きているといろいろなしがらみや、メンツやら、圧力やら、お金やら、生活していくためには振り切れないものが沢山あるでしょう。それらをすべて捨てることですから、そうとうの覚悟が必要になります。

しかし、取り返しのつかないことが起こってしまえば、そんなものもすべて吹っ飛んでしまいます。そんなものは何の意味もなさなくなってしまいます。

さらに、その被害は自分たちが被るだけでは済まされず、罪もない可愛い子供やその孫へと何世代にも渡り傷跡を残してしまうのです。

残念なことにその取り返しのつかないことが、今、目の前で起こってしまいました。子供たちを守ってあげることができませんでした。電力会社を怨みます。誘致してきた政治家を怨みます。擁護してきたマスコミを怨みます。国を怨みます。

怨んでも怨んでも、もうどうすることもできません。人間は自分で止めることが出来ないものを作ってしまったのですから。

原発から出来るプルトニウム239の半減期が2万4千年という事実に驚く人が多いことに愕然としました。この原発事故は、実は私たち国民の「無関心」さが引き起こしたものでもあるのではないかと強く感じました。

まだどうなるか全く見通しが立たない状態ですが、もう二度と同じ過ちを、あの可愛い子供たちの未来を奪うような過ちを繰り返さないために、どうか勇気を持って真実を語り、真実に目を向けて欲しいと願います。

そのために払う犠牲はあまりに大きすぎますが・・・。

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根源からお金を問うこと

Ende_2物々交換からはじまった経済が、貨幣という便利な媒介を生み出すことによって、貨幣がいつでも肉や魚の代わりとなりました。しかし、そこには大きな誤算があったのです。それは肉や魚は時間が経てば腐ってしまうのに対して、貨幣は腐らないということでした。腐らない貨幣は貯めておくことができ、利子を受け取ることができるというようになりました。この特質をいち早く知り、実行したのがユダヤ人でした。

「豊かな漁師町に、貨幣経済の導入と一緒に銀行ローンもやってきた。漁師たちはローンで大きな船を買って、効率が高い漁法を採用。そのおかげで、ローンを返すためにたくさん魚をとり、結局最後には魚が1匹もいなくなる---。」

経済は人が生活を営むための社会的行為である以上、そこには善悪やモラルの規範が含まれるべきであります。しかし現実の経済活動はそうはなっていません。わかりやすい例として、経済活動の前提条件であるはずの自然資源を破壊してしまう経済システムの矛盾に、ミヒャエル・エンデは目を向けます。金融システムの行き着く先は、地球が有限であるが故に、環境的滅亡か、経済的滅亡か、あるいはその双方か、何れかしかありません。

ひつじ自身、つい最近まで現在の貨幣制度、銀行、利子というごく当たり前に存在していたもの(常識)に対して、なんの疑いを持つこともなく生きてきました。 しかし、生まれる前から存在している常識とされているものに、疑いを持つこと、 これは至難の業です。高い教育レベルの人であればあるほど、この「洗脳」に気付くことは難しいと思います。

「重要なポイントはたとえばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つのまったく異なった種類のお金であるという認識です。」

日本では年々自殺者の数が増えていると聞きます。しかし、途上国で生活苦を理由に自殺している人がいるでしょうか。もちろん途上国では餓死する人はいますが、自殺を考えるのは必ず恵まれた先進国の人たちです。それは一体なぜなのでしょうか。

是非『エンデの遺言』に耳を傾けて頂きたい。

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論語公開講座

先日大阪にとんぼ返りしてきました。論語普及会の公開論語講座受講のためです。
講師は論語普及会学監の伊與田覚先生。御年95歳ということで、今行かねばもう講演を拝聴することなどできないのではないかという危機感から、小六と小三の子供たちに学校を早退させて行ってきました。

講座はまず国歌斉唱から始まり、続いて論語の里仁第四を全員で素読。100人くらいいらっしゃいましたが、ほとんどの方がご年配の方で、恐らく会社の管理職の方が多かったのではないでしょうか。そんな中で、小六と小三の息子達は目立っていました。(^_^;)

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伊與田先生はとてもゆっくりで落ち着いた親しみやすい話し方でした。今回は孔子の人となりをお話しいただきました。なかなか孔子という人は自分のことは語らない方でしたが、論語の中で唯一自叙伝的な一文がございます。ご存じの「吾十有五而志于学・・・」の章でございます。孔子の学ぶことへの低い姿勢、年を重ねるごとに頑固になるどころか逆に素直な心を持たれるようになることなど、いろいろな論語の章を参照されながらご説明いただきました。

先生のお話は1時間ちょっとでしたが、子供たちはとても真剣に聞いていたようです。帰りがけに先生に子供たちと握手をしていただきました。小三の息子は握手した右手を大事そうに抱えながらホテルへ帰ってきました。(笑)

翌日は城好きの息子のリクエストで大阪城を駆け足で見学してきました。時間がない中、歴史好きの息子達は熱心に展示物を見て回っていました。

その後、東京へ着いてからは、六本木にある国立新美術館に立ち寄り、「没後120年 ゴッホ展〜こうして私はゴッホになった〜」を観てまいりました。《灰色のフェルト帽の自画像》や《アルルの寝室》など代表作がずらりと展示されておりました。30分しか時間がなかったので、ここも駆け足で拝観。腕に抱いていた一歳半の息子は眠ってしまって、重いのなんの。本当はこの子に本物を観てもらいたくて連れてきたのに・・・、ちょっと残念でした。しかしながら、駆け足ではありましたが、とても充実した二日間でした。

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平和とは

先日、広島に行ってきました。広島は二度目の訪問となります。帰りの飛行機の時間まで少々ありましたので、ホテル裏の原爆ドームに、やはり足を運びました。ドームを目にするのは二度目ですが、前回同様涙が溢れてきました。


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頬を伝うこの涙の意味はなんなのか。もちろん原爆死没者への哀悼。もし自分や家族の身に同じことが起きたらという危機感。民間人を狙った卑劣な米国への憎しみ。我が国の国防に関しての全くの体たらくへの憤り。そして、そこに何も出来ずに立ち尽くしているだけの自分自身への哀れさ。こうしたものが入り交じった涙の味でした。

今年の8月6日の原爆死没者慰霊式・平和祈念式にルース駐日大使が参列し、献花もせず何も語らず会場を去った、とニュースは伝えます。もちろんここで謝罪でもしてしまったら、大変なことになります。そんなことはわかりきったことです。それに引き替え、日本政府は朝鮮やシナにペコペコ謝ってばかり。戦没者や死没者にどの顔で慰霊に来られるのか、とても想像できません。

映画『男たちの大和』のモデルになった戦艦大和からの奇跡の生還をはたした八杉康夫さんの若者へのメッセージ・・・【若者よ、君たちが生きるきょうという日は、死んだ戦友たちが生きたかった未来だ】という言葉が胸に切なく響いてきます。


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慰霊碑に手を合わせてから、一路ひろしま美術館に向かいました。訪問の理由は、ゴッホの『ドービニーの庭』が展示されているからに他なりません。ひろしま美術館には印象派の絵が多数展示されていました。やはりその中でも『ドービニーの庭』は異彩を放つ作品でした。何度も何度も立ち戻って鑑賞してきました。


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『ドービニーの庭』は同じ構図の絵がスイスのバーゼル美術館にもあります。そちらには黒猫が描かれていて、所謂ミステリアスな裏話があるのですが、その話は置いておいて、ゴッホはこの『ドービニーの庭』を仕上げてから数週間後に、ピストルで自分の腹を打って自殺するのです。しかし絵には迷いがなく、愛情に満ち溢れています。誰が彼の自殺など想像できたでしょうか。

原爆投下後の焼け野原を見て「これから50年は草木が生えないかもしれない」を言われたこの広島の地に、生き生きとした緑豊かな『ドービニーの庭』があることにとてもうれしく、救われる思いがしました。この絵の前に立つと本当に幸せな気持ちになります。

平和とはいったい何なのか。彼らが願った平和とは、今のような「平和ボケ」したものでは決してないはずだと背中を叩かれた思いでした。

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トラ!トラ!トラ!

1945年8月15日正午、NHKラジオは昭和天皇の肉声による玉音放送を流しました。

「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ、以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」

「萬世の為に太平を開く」とは「永遠の平和を築く」ということで、「今この戦いを止めるのは将来の永遠の平和の為に戈を収めるのである」という意味が込められている。何も刀が折れ、矢が尽きてやむを得ず負けるのではないということです。

あの詔勅には本来、「義命の存する所に従って、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、萬世の為に太平を開く」と続くはずでした。ところが閣議で削られて「時運の趨く所」に変えられてしまった。しかし「時運の趨く所」では「流れに任せるしか仕方がない」という意味になってしまい、「義命の存する所」とは全く意味が違ってきてしまいました。

この「義命」という言葉をとってしまったために、戦後の日本人は「正者」と「強者」を混同してしまったのではないかと伊與田先生はおっしゃいます。「正しい」ということは、本来道理に適っているということ。ところが戦後は「強い者が正しい」と勘違いしたまま現在に至っていると。

天命という天の働きが、すなわち義命であり、正しい道ということになります。いわゆる「正しい」というのは、天地の道に適っているということ。まさに現代人はそれらを履き違えていますね。


Tora


妻と子供たちがおばあちゃん家に遊びに行っていて、独り寂しい夜なので、久しぶりに映画でも観ようと思い手にしたのが「トラ!トラ!トラ!」。

この映画は太平洋戦争開戦にいたる数ヶ月を日米双方から別々に描いている映画。アメリカ映画といっても日本側の撮影は日本の監督、スタッフ、俳優で撮影されているためありがちな不自然な描写がないところが良い。

真珠湾はアメリカにとっても完全な不意打ちではなく、当然暗号読解によって予測は出来ていたこと。日本は最後通牒を出したがワシントンの日本大使館の怠慢によって攻撃直前に渡すはずがそうとう遅れてしまった事実。この映画は日米どちら側にも荷担するわけでもなくかなり公平に描かれていました。それにしても、日本大使館の不手際で最後通牒が遅れてしまい、アメリカに大儀を与えてしまった事が悔やまれてなりません。

今の大学生の中でもかなりの学生が、かつて日本が米英と戦争をしたという事実を知らないそうです。あの戦争を知らなくて、我々が今こうして平和に贅沢な暮らしができていることを、一体誰に感謝したら良いのでしょうか。そんなことを考えながら映画を観ていたら、目頭が熱くなってきました。

うちの子供たちが帰宅したら、早速、親子で「トラ!トラ!トラ!」を鑑賞しようと、手ぐすね引いて待っています。(*^_^*)

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朝の論語素読スタート

息子達のクラスで、いよいよ朝の論語素読がスタートしました。それも無理矢理・・・。(^◇^;)

小6の息子に先陣を切ってもらい、毎日「朝の会」で息子の音頭で論語の素読を試みました。クラス全員に論語一章が印刷されたカードを配布。月曜日から金曜日まで毎朝同じ論語をクラス全員で素読。次の週は別の論語一章を配布。毎週一章ずつ配布するので、卒業するまでには約40枚近くのカードが貯まります。きっと良い思い出になることでしょう。

Rongos

小3の弟がそれを見ていて「僕もやりたい」ということに。(^_^;)負けず嫌い
弟のクラスでも始めました。小学3年生用に最初は短い文章を選んで、人数分持って行かせました。ちょっと心配でしたが、杞憂に終わりました。クラスでは大好評で、来週の論語が楽しみだと、皆必死に素読し暗誦していたそうです。お陰で小3の弟は天狗状態・・・。やれやれ。(~_~;)
まぁ、ちょっとした自信に繋がればそれで良いでしょう。

担任の先生のご理解を頂き、無理矢理スタートしたこの企画。一年後が楽しみです。これを機に、うちの小学校でも古典に触れる機会が増え、興味を抱く子供が出てきて、地方から日本を変えようという志溢れる人間が生まれることを願っています。


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『孝経』

「孝は徳の本なり。教の由って生ずる所なり」とは『孝経』の冒頭に出てくる孔子の言葉です。『孝経』は孔子と曾子の問答を曾子の弟子が編纂したものと言われます。『論語』についで早く日本に伝来し、『論語』と共に日本人の血となり肉となり浸透していきました。然るに、敗戦後の占領政策で、縦糸である孝道がプツリと断ち切られ、横糸ともいうべき自由平等が蔓延。その結果が親が子を殺し、子が親を殺すという事件が頻発しても、さほど驚かない社会がそこにはできあがってしまったのです。恐ろしいことです。

Koukyou

そこでうちでも、いよいよ『孝経』の素読に入りました。孝行の始めは親から授かった体を傷つけないこと、孝行の終わりは両親の名が後世に挙がっていくこと。なかなか難しいことです。

Sodoku

しかし、息子の同級生が進んで「素読」したいと集まってくるのを見ると、まだまだこの国の未来は明るいのではないかと期待せずにはいられません。明日月曜日の朝から、息子のクラスで毎朝論語一章を大きな声で素読していくことになりました。地方から「人物」が出現し、この国を元の道に戻してくれることを切望するひつじでした。

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