おとなの寺子屋

昨夜は『おとなの寺子屋』を開催しました。(^^ゞ

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大の大人がそろいもそろって、声を出して『素読』するのです。最初は恥じらいがあり、また初めて目にする文章なので、モゴモゴでしたが、ページが進むにつれて、皆の声は凛としたものになっていきます。始めはあぐらをかいて読んでいた者が、いつの間にやら正座しているではありませんか。

今から2,500年も前の天明に通ずる先覚の書を、自分の眼で見て、自分の声で読み、自分の耳で聴き、そして皮膚からも吸収する。感覚器官を総動員するわけです。自ずと背筋を伸ばさずにはいられません。

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第一回目の今回は「成人」についてお話ししました。
「成人」には二つの意味があります。「大人(おとな)」としての意味と、「人と成る」という意味。「人と成る」とは立派な人間になる、人間らしい人間になること。前者の「大人(おとな)」という意味の成人は、特別な努力は必要ありません。誰でも飯を食って二十歳になれば、皆、成人としての扱いを受けるわけです。後者の「人と成る」の方は、これはかなり努力が必要となります。

我々はまず「人と成る」ことが大事であり、『おとなの寺子屋』で勉強する意義もまた、そこにあるのだろうと思います。

次回も「人と成る」ことを目ざし、みんなちゃんと集まってくれることを祈るばかりです。(^_^;)

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却下照顧

気が付くと10月に入っていました。
今年も残り三ヶ月となり、なんだか知りませんが焦りを感じる今日この頃です。

先月を振り返ってみますと、久しぶりにいろいろな事がありました・・・。
(1)妻が誕生日を迎えました。
 今年は記念に誕生年のワインを開けました。
 非常にフルーティで、とてもクラレットとは思えない、
 まるでブルゴーニュの熟成されたワインを飲んでいるかのように不思議なワインでした。 (o^^o)

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(2)実際の妻の誕生日には一緒にいられず、静岡の磐田さんにお邪魔してました。
 あることないことしゃべらせて頂きました。
 旧友との再会で、パワーを貰いました。
 久しぶりに『青春』を味わってきました。 (^_^;)

(3)うちの天使がきちっと寝返りをできるようになりました。
 今にもハイハイしそうな勢いでした。
 (実際動かれると非常に困りますが・・・)
 最近発する言葉?いや音が新しいバージョンへ移行しました。
 (なんとなく唸っているようにしか聞こえませんが・・・)
 それにしても益々愛らしくなる天使君でした。 (^。^)

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(4)二年に一度の地元の提灯祭りが終わりました。
 お祭り自体は三日間ですが、準備期間を含めると一ヶ月以上も束縛されます。
 教え子?(若い輩)の成長を見ました。
 彼らはお囃子の子供たちを一ヶ月間以上も指導していたものですから、
 最終日のお別れの時には、大人の男ながら号泣していました。
 (それを見て、ひつじももらい泣きしましたが)
 まだまだ日本の若者も捨てたモノじゃないと感じました。
 (今後彼らと寺子屋をやることに決定しました!) (^_-)

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(5)小学校の広報誌を入校しました。
 広報委員会で手作業で進めてきた広報誌ですが、
 面倒くさいのでひつじが勝手にレイアウトして入稿することになりました。
 何回かの委員会で出た、お母さんたちの案は一体何だったのか?
 というくらい勝手にまとめてしましました。
 さらに空いたスペースを使って「古典教育」のコーナーを新設。
 教頭先生に「古典教育の必要性」を思わず説いてしまったひつじでした。 (--;)

※親孝行の「孝」の字。
な、なんと今の小学校では習わない漢字なんですってね。
「孝」という漢字は「老と子」を合わせた字ですね。
親の方からこの字を考えると、ちょうど子供を抱っこする姿。
子供の方からは親を背負っている姿なんですね。

この「孝」の字、実は親子だけではなく連続・統一を表す文字なのです。
老、則ち先輩・長者と、子、則ち後進の若者とが断絶することなく、連続して一つに結ぶという意味で「孝」という字ができあがったということです。

然るところ、敗戦後の占領政策によって、縦糸に当たる「孝」を無視して、横糸ともいうべき自由平等の思想を鼓吹いたしました。
その結果が親が子を殺し、子が親を殺す事件が頻発しても、さほど驚かない社会的雰囲気が醸成されつつあるという最も恐るべき事態になったということです。

一刻も早く、縦糸であるべき「孝」を取り戻さねばなりません。(>_<)

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獨りを愼む・・・

この週末は子供達も妻もおばあちゃん家を訪れていて、ひつじは獨りぼっち。愼みながらオリーブオイルベースの料理(油だらけ)を作り、Leroyの97年モノのシャルドネを開けて楽しんでおります。

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今日(日曜日)は久しぶりにあらゆる事から解放されて、朝から読書三昧でした。お昼を食べてからは『論語』を学而第一から堯曰第二十まで素読しました。非常にキツイものがありました。うちの子供たちにも素読させようと思っているのですが、耐えられるかなぁ?

ひつじがなぜ、東洋古典に感化されてそれを探求しているのか不思議なことでしょう。はい、お答えいたします、それにはこんな逸話があります。

マッカーサーの話です。彼が日露戦争後に、観戦武官を務めていた父親と一緒に日本を訪れた時のこと、乃木大将にしても山本元帥にしても、大変な風格を持つ素晴らしい人がいて感服したという言葉を残しています。しかし第二次世界大戦後に占領軍のトップとして再び日本にやってきた時の将校は、いかにも浅ましかったと・・・。

この違いは何かと聞かれた吉田茂首相が、哲学者・和辻哲郎氏に見解を求めたところ、明治の将軍たちは江戸時代から伝わった修己治人の学問をやって将軍になった。ところが昭和の将軍たちは西洋の技術や論理ばかりを学んで、修己治人の修己をやってこなかった。これが大きな違いだろうと答えたそうです。

それでは江戸時代まではどんな学問が教えられていたのか?
江戸時代までは儒学をはじめとする修己治人の学問や教養が行きわたってました。だからこそ、幕末の志士も明治の元勲たちも、人間としての魅力も信頼感もあったのです。それは中国の後漢の時代に儒学が盛んで、そこで育った人たちが立派だったので、それに続く三国志の英雄達もみんな魅力的な人間だったということです。江戸三百年の教学の歴史と後漢二百年の教学の知識が共通のものとして生きてくるのです。

現在の小学校などでの道徳教育では、もちろん修己治人の教学は皆無の状態です。一体何をもって「道徳」とやらを教えているのか不思議で仕方がありません。最近の政治家や官僚のお粗末さもどうやらその辺にあるようです。戦前の官僚の新任研修のテキストには、そのような東洋古典を題材としたものが使われていたそうですが、戦後はまったく教えなくなったということです。

最近の世の中に起こる出来事を見ると、まったくその部分が欠落していることが容易に理解できます。一体この国はどこまで落ちぶれてしまうのか・・・。

マッカーサーの話が出ましたので、ちょっと政治の話。
来る8月30日の衆議院選挙。マスコミが騒いでいるような当落予想の民主党の圧勝、自民党の大敗などというような枝葉末節を論じるのはよして、麻生内閣の支持を下げ、自民党を不人気にした真の理由というものに迫って、日本をダメにしている病原を叩きつぶす選挙にしなくてはならないのではないでしょうか。

そもそもは麻生内閣発足後すぐ(在任5日間)に、日教組批判を行った国土交通相の中山成彬氏の更迭。また懸賞論文問題でクビになった田母神俊雄前自衛隊航空幕僚長。これらが自民党や政治への疑念を決定的にしたものでした。
自民党がこのような状態なら、それを厳しく批判していくのが、野党というものの存在ですが、民主党も同じ穴の狢です。

ではどうしたら良いのか。心ある人、志ある政治家はちゃんといます。今度の選挙では以下の質問にちゃんと答えられる政治家を是非選びましょう。

 『日本は、○○○○を○○して国際社会に復帰した』

病原はここにあります。


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そんな暗い話ばかりではありませんでした。
友人の○クリンがめでたく結婚することになりました。いつものワインバーで記者会見を行いました。とても楽しい二人でお似合いのカップルでした。めでたしめでたし。

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また、来月誕生日を迎える妻の生まれ年のワインを入手しました。
1977年、Ch. LAFITE ROTHSCHILD。タイムリーでした。32年の年月を経てお互い(彼女もワインも)熟成されてきたわけです。どのような仕上がりになっているか楽しみです。
しかし、誕生日当日(9/16)は、ひつじは静岡県におります。トホホ。これも縁のなせる技であります。すべての幸不幸は縁から始まるのです。縁は大切にし、育てなくてはなりませんね。

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41回目・・・

Birthday昨夜は41回を数える誕生日でした。しかしながら、いつもとは趣が違っていました。そこには、屈託のない笑顔で♪Happy birthdayを歌ってくれる子供たちがいました。プレゼントをくれる子供たちがいました。

プレゼントの箱を開けると、手作りの王冠やリース、そしてお手紙がそれぞれ入っていました。しっかり自分の字で書いてくれたお手紙。お手紙を書いている時は、少なくともひつじの事を思い、考えてくれていたのだなぁと想像すると、目が潤みました。

"人"という字は、本当に支え合っているように見えます。不思議なくらい前へ進む勇気が湧いてきます。なんでもないことに感動を覚え、小さなことに幸せを感じる。人生とはそうした小さな幸せを見つけていく作業の連続なのかなと改めて感じます。

『まける人のおかげで勝てるんだよな』という相田みつを先生の言葉。聞いてくれる人のおかげで話しも出来るし、子供たちのおかげでパパと呼ばれる。<おかげさん>でないものはこの世にはひとつもないですね。すべて<おかげさん>で成り立っているんですよね。

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40年という時間

1967先日、友人からひつじの誕生年のワインをご馳走になりました。1967年ヴィンテージのシャトー・ベイシュベル。40年間も熟成し続けていたワイン。感慨深いものがあります。ひつじの人生の中で、自分の誕生年のワインを味わうことが出来るなんて夢にも思いませんでした。

40年という時間があまりにも永く、その間このワインは熟成を続けてきたわけで、同じ時間を生きてきたひつじはどの程度熟されたのかと考えると、このワインを前にして恥ずかしささえ覚えました。
一体40年もの時間、何をしてきたのか。何を得、何を捨ててきたのか。ワインを味わう間、そんな後悔で頭がいっぱいでした。

ひつじの一生が何年なのか・・・。残り何年が残されているのか、残された時間をどのように使うか、改めて考えさせられました。
とにかく目の前にいる子供たちの成長が第一であり、家族の幸せを考えることで精一杯であります。そして、ときどきちょっと贅沢に美味しいのワインを味わうことが出来れば、それでひつじの一生には悔いは残りません。

私たち人間は自然に「生かされ」ているわけで、自然の恵みを頂けることに、心から感謝いたします。67年のベイシュベルで、世界観が変りました・・・。

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